こんにちは。みかんとセメントの町、大分県津久見市出身の鶴亀の嫁、ゆうこです!(*^。^*)
本格的な冬の寒さ到来ですね!
寒がりの私は、休みの日でも外に一歩も出ずに家でごろごろ、ごろごろ・・・。
こたつに入って、実家から送られた津久見みかんを食べながら、いろんなことをぼーっと想像して過ごすのがなんとも言えない至福のひと時でもあります。そうえいば、中学校の頃、学校をあげて「俳句作り」に取り組んでいました。その影響で、ニュースで日本各地の風景をみながら、思わず一句詠んでみたり・・・。
そうそう、俳句と言えば・・・「海苔」!
なぜって!?
冬に旬を迎える海苔は、俳句の中では季語として使われており、
実に様々な俳句の中で詠まれているんですよ。
そこで、 今回の海苔トリビアは、
海苔を詠った俳句についてお届け致します!
まずはこの一句。
「海苔汁の 手際見せけり 浅黄椀」
これは、松尾芭蕉が41歳の時に詠んだ句です。
弊社で広告ポスターを作成したことがあるのですが、その中にも引用させてもらった、鶴亀フーズにとって大変思い入れのある一句です。
芭蕉が、浅草に住む弟子の千里(ちり)を訪ねた際に、おいしい海苔汁を作ってくれたうえに、色合いのよい浅黄色のお椀に入れてだしてくれたので、お礼に詠んだ句だそうです。
海苔汁は、海苔が入ったお味噌汁。浅黄椀は、漆椀のことを言います。
この時代の海苔は、現在のような「板海苔」ではなく、採った海苔をそのまま広げて乾かして食べていたという事が、この一句から読み取れますね。
続いてはこちら、
「海苔掬う 水の一重や 宵の雨」
これは、与謝蕪村の句です。江戸時代中期になり海苔の養殖が盛んになると、生産量も増え、庶民の間でも海苔が親しまれるようになりました。そんな中、積んだ海苔を刻み和紙のようにすいて作る「板海苔」が生まれました。
歌の中でも『すく=掬う』と詠われていますね。
最後に、時代は明治へと移ります。
「海苔粗朶を 浪の出て来る 限りなし」
山口誓子が詠んだ一句。
明治時代に入ると『そだ』と呼ばれる種付けをする棒状のものを使って、海苔の養殖が行われていました。
海苔の句は12月〜3月頃だといわれていますので、荒々しい冬の波が粗朶の間を寄せては返す光景が目に浮かびます。極寒の中、凍るような冷たい海水に手を入れ少しずつ摘み採っていたという当時の海苔の採取方法は、今と違い大変重労働であったそうです。
このように俳句を見ると、海苔が昔から日本の食文化として根付いていたことがよく分かりますね。
最後に一句
「海苔運ぶ 夫の背中 光差す」
新年を迎えると、海苔漁師さんから直接買い付けた生海苔を加工する作業が始まります。
摘みたての海苔の鮮度を落とさないよう、深夜・早朝問わず作業する我が夫。
生海苔のコンテナを何十杯も積み下ろして、加工作業の為の準備を行う夫に感謝の気持ちを込めて・・・嫁でした。
以上、今回の海苔のお話は『海苔と俳句』でした!
海苔トリビア次回もお楽しみに。(*^。^*)